「戦闘美少女の精神分析(斎藤環)」

【書名】戦闘美少女の精神分析

【副題】

【著者】斎藤 環

【出版社】太田出版

【出版年】2000年

「かりに「戦う少女」の系譜ともいうべき、わが国固有の表現ジャンルが存在する。それもマイナーな領域に留まるものではなく、むしろきわめて広範囲に、メディアの至るところに、その表現が浸透している。それらはすでに、あまりにもありふれたイメージであるため、その特異さに気づかされることは少ない。われわれは甲冑に身を固め、あるいは重火器をたずさえた可憐な少女のイメージに、もはや何の異様さも感じない。もちろん私自身も例外ではなかった。 私にその現象の奇妙さに気づかせてくれた最初のきっかけは、アメリカのアマチュア画家、ヘンリー・ダーガーの作品との出会いだった。」

「ダーガーは24歳から60年間にわたって、たった一人で誰にも知られずに一つの作品を創造していた。作品は1万5千ページ以上にも及ぶ膨大なタイプ原稿と、それに添えられた大量の挿し絵からなる。おそらく独力で創作された単一の虚構作品としては空前の規模のもので、保存状態が悪いためもあり、いまだその物語の全貌は知られていない。・・・

彼の物語には、七人の「ヴィヴィアン・ガールズ」と呼ばれるヒロインが登場する。彼女たちは邪悪な大人の支配から子供奴隷を解放すべく、銃をとって果敢に戦う。その戦いはしばしば、血なまぐさく、残酷きわまりないものとなる。」

「社会的ひきこもり」を自称する精神科医の著者は、ダーカーとセーラームーンの類似から「戦闘美少女」というイコンの特殊性に思い至り、本書のテーマを構想したという。「何故彼女たちは戦うのか?」という問いに著者は次のように答えている。彼女たちには精神的な傷、「外傷」が存在しない。「外傷とその反復、あるいは回復」といった、通常の意味での物語を持たない彼女たちは、虚構世界の永遠の住人であり、空虚さの象徴である。『新世紀エヴァンゲリオン』のヒロイン「綾波レイ」は最もわかりやすい例である。また、「ナウシカ」の戦闘能力は、自明の前提として描かれているが、自分で主体的に獲得したものではない。彼女たちは、ヒステリーの反転形であり、失われたヒステリー的外傷の代償として戦うのである、と。  私には人により幾つもの答えがある気がするのだが、戦うことを宿命とされた彼女たちはリアリティーを放棄することでしか存在することができない、と言い換えれば理解できるような気もする。

ヘンリー・ダーガーの挿し絵の一部を見て思ったのは、澁澤龍彦が広く紹介した南仏オートリーブの郵便屋シュヴァルが独力で築いた「理想の宮殿」のことだ。この世は、実にさまざまな情熱で溢れている。