【書名】(保育絵本)メリーランド
【副題】
【編集者】加賀山敬二
【発行所】株式会社 若越出版部
【出版年】1954年
画家の父が亡くなって1年になる。
去年の夏、茅ケ崎の父のアトリエを整理していて懐かしい絵を見つけた。父とは画風の全く異なる6号ほどの油絵で、小学校2年の夏まで暮らしていた家のアトリエに掛かっていたものだった。引っ越したあと、どこに行ったのか全く見ることもなく、最近まで記憶からも消えていた。
2019年に父の画集の編集作業に携わる機会があり、東京芸大の卒業制作の写真を見たとき、忘れていたこの絵を思い出した。写真は男女7人の裸体群像で、裏に「黒い太陽 1959年 卒業制作」と書かれていた。画風も構図も全く異なる2枚の絵だが、父の絵が間違いなくあの絵の影響を受けて描かれたものであることを確信した。それ以来、アトリエのどこかにあるだろうとは思っていたけれど、父に大事なことを聞くのをすっかり忘れていた。作者と辿ってきた歴史について。
絵を茅ケ崎の実家から小平の自宅に持ち帰った。崩したローマ字でハッキリ読めないが、サインがあることから作者はすぐにわかる気はしていた。この時点で確証はなかったが、「脇田和」「山口薫」のどちらかだろうという思いもあった。サインにも「k」「u」の文字が識別できる。絵のかすれた筆跡からもイメージが湧いた。
「脇田和」「山口薫」のお二人とも、父が学生時代に、たぶん講師として、また、卒業後にも何度もお会いしたことがあること、また、「山口薫」をとてもリスペクトしていたこと、は知っていた。(「自由美術家協会」「モダンアート協会」に出品していた時期もある)
結局、ネットで調べてわかったのは、サインから、ほぼ「脇田和」に間違いないということだ。軽井沢の脇田和美術館に行ったこともあるが、そこで見た画風とまったく異なるのはなぜだろうか。「鳥」はどこに行ったのか、まったく、不明だった。
そして、キャンパスを縁までくまなく調べた結果、消えかけの鉛筆で書かれた「メリーランド 11月」の文字をかろうじて見つけた。
「メリーランド」とは何だろう。調べた結果がこの保育絵本である。ネットでも確かに「脇田和」の文字が表示された。他に「堀文子」「稗田一穂」などのお会いしたことのある画家の名前もあった。(堀先生は多摩美の教授として、稗田先生は父の知り合いであった。)
そして、検索した中から1冊、古本屋で購入した。
雑誌の中を見て驚いた。テーマが動物の号だが、「脇田和」「稗田一穂」「大沢昌助」などの有名画家の「シロクマ」や「シマウマ」「ライオン」「トラ」などの絵が、若い頃とはいえ、A4見開きに掲載されていた。原画はキャンパスなどのしっかりした支持体に描かれているようだ。サインもある。そして、今はわが家にある「脇田和」の絵もこのようにして掲載されていたのだろう。保育絵本というのが笑えた。
雑誌が手元に届いたとき、編集者の「加賀山敬二」の名前を見てピンときた。肖像彫刻家であり、童話作家でもあった加賀山敬二は父の大恩人であるらしい。茅ケ崎のアトリエには彫刻が複数飾られている。これで糸が繋がったが、やはりこの絵をなぜ所有していたかは不明のままだ。父も母も鬼籍の人となった今、もはや知ることはできないだろうと思う。
もう一つ謎なのは、キャンパスの右下に1cmほどの幅でぐっさりと鋭利なもので開けられた穴が空いていることだ。父がこの絵を持っていたことに関係があるのではと推測するが、今はもうわからない。
自宅のアトリエでこの絵を見るたびに、もっとたくさん話をしておけば良かったという思いが湧くが、同時に、父が学生時代にこの絵から受けた感動のカケラを日々発見している。