「絵を描く悦び(千住博)」

【書名】絵を描く悦び

【副題】千住博の美術の授業

【著者】千住博

【出版社】光文社

【出版年】2004年

「あとがき」で著者は次のように書いている。「たえず言いきかせていないと忘れてしまうということがある。ある種の思想や哲学、科学といった分野だ。本書の内容もそのようなものだと思う。だからこれは一面、自分に言ってきかせて、改めてまた自分が思い出すために書いたとも言える。」

章立ては、次のようになっている。「第一章 何を描かないか」「第二章 何を伝えるか」「第三章 何を描くか」「第四章 何で描くか」「第五章 何に描くか」。 まず、第一章に「何を描かないか」を選択した千住博はさすがである。この意味が本当に実感できるのは、ある程度絵を描いている人だけかもしれないが。 情報量の多い現代において、私たちは絶えず自分以外の誰かに憧れ、また、羨み、「明日は自己以外の何者かになれる」ことを夢想して、毎日を暮らしている。著者は、第一章の冒頭に次のように述べる。「絵を描くということは、自分にないものを付け加えていくことではなくて、自分にあるものを見つけて磨いていくこと。自分の良さを磨いていくことです。」「まずは、ないものねだりをするのではなく、自分にあるのものは何か、ないものは何か、をしっかりと見極めることが必要です。」 蛇足だが、これは、得意なものだけ描きなさい、などという事とは次元の違う話である。

この本でもうひとつ感心したのは、ニューヨークに拠点を置き、世界的に活躍している芸術家である著者が、次のように述べている箇所だ。「絵は、憧れを描くものです。わあ、いいな、と思える風景、素敵な人物、美味しそうな果物、そこには人々の夢があふれています。」 現代において、この世界の複雑な状況を反映し芸術もまた限りなく複雑となった。しかし、内的感動こそ芸術の基本である、という著者の信念の表明をとても心強く感じた。

著者は芸大浪人時代に通った「新宿美術学院」という美術予備校や、同校の日本画科コースのカリスマ講師として知られていた武田成功先生について何度か触れている。実は、私も同校で武田先生に教わったのだが、書かれている予備校風景について、懐かしく、うなずきながら読んでしまった。

美大生向けの講義より纏めた本であるが、初心を忘れかけた時、制作に迷った時に、原点を思い起こし勇気を貰えるような、そんな気持ちにさせてくれる本である。

「個性は今以上なくていい」

「素直に見て、素直に描く」

「絵画とは世の中のわからない不思議に対する問いかけなのです。」

「自分を掘り下げることがインターナショナルの内実というわけです。」